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ありがとう

あれから一週間経った。
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5月20日。
母からのメール。
『じいが今朝肺炎で入院した。あまく長くないかもしれないからいろいろと用意しておいて。』
去年、リンパ腫が見つかり、一年はもたないかもしれないようなことは聞いていた。
高齢になり、肺炎で入院と聞くとなんとなく嫌な予感しかしなかった。
とはいえ、平日はお見舞いに行けないので、週末には妻&子を連れてお見舞いに行こうと思っていた。

5月22日。
『じいが週末までもつかわからないから、意識があるうちに会ったほうがいいと、先生から説明があった。』
まさかとは思った。長くないのかなとは思いつつも、そんなに早く来るなんて…。
仕事を15時で早退し、病院へ。妻にも連絡し、すぐ病院に行くことにした。
姉も仕事を早退し、福岡にいる弟も仕事を早退し、飛行機でそのまま宮崎入りし、病院へ。

恐る恐る病室へ入ってみると、丸顔だったはずのじいちゃんは頬が見るからに痩せていた。
週末までもつか分からないと言われたから、暗い雰囲気を想像していたが、本人はいたって元気。
ただ、補聴器をつけているはずなのに耳はずいぶんと遠く、しゃべりもろれつがまわっていない状態だった。

躾は厳しくしないとダメだという考えの持ち主だったので、普段から口うるさく、あまり笑顔を見せない人だった。
正直言って、あまりに口うるさいから嫌だと思うことのほうが多かったし、それが原因でケンカもしたし、足も遠のいていた。
でも、この日は違った。元気でとても陽気で笑顔だった。いつものうるさい話は全くなかった。
あぁ、この人もこういう一面があったんだなと心底思った。
しかし、よくしゃべるし、あまりに元気だったから、ほんとに週末が山場なのか?と疑った。
でも、目の前にあったモニターを見ているとちょっと納得できた気がした。
心拍数が安静にしていて120~130。すこし話をしていると150を超え160手前まで上がり、本人も息が上がっていたようだ。150~160って、自転車で坂を上るときに見るような数字だ。じいの年齢でこの心拍はちょっと異常なんじゃないかと思った。

病院から延命措置を行うか聞かれたが断ったらしい。措置を行うと、わずかでも長く生きることはできたかもしれないが、意識はなくなるということだった。自分が同じ立場だったらやはり断っていたと思う。

その日の夜、家に帰って、妻としゃべっていたらなぜか涙が出た。やっぱり寂しいよねと。

5月23日。

とりあえず、いつもどおり仕事には出た。
親には何かあったらすぐ電話をするようお願いした。死に目には会いたいと思ったから。
でも、きっと今日は何もないと思っていたし、仕事帰りにまた顔を見せに行こうと思っていた。
母からメールが来ていた。
『昨日よりかはきついのかもしれない。呼吸は早いみたい。』

5月23日 13:41
とうとう母から電話がきた。
『出れるならすぐ病院へ。急がなくていいから、とにかく気をつけて』と。
焦る気持ちを必死で抑えて、とにかく安全運転を心がけた。ついついアクセルを踏む足に力が入りそうだった。
目指すは県病院。やっかいなことに道路が混みやすい。どのルートが一番早いか、この時間帯は渋滞はないか。
やっと病院に着いた。駐車場からの足取りも自然と早くなった。
病室までエレベーターで上がった。待ってる時間が待ち長くて階段を走ろうかとも思った。
やっと病室に着いた。


間に合わなかった。


最後くらいしっかり見取ってあげたかった。でも間に合わなかった。3分。たった3分早くついていれば…。
自分でも信じられないくらい涙が出た。悲しいのか悔しいのかも分からない。
県病院じゃなくて、医師会病院だったら…。無我夢中で飛ばして駆けつければ…。考え出したらきりがない。

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5月23日 14時19分。
じいちゃんは息を引き取った。82歳でした。

5月24日。
なんだか信じられないまま、一日を過ごしたような気がした。
納棺は親族みんなでしました。体温がなくなったじいを納棺する時、これが最後なのかと思い、体が動かなかった。涙は出たけど。妻に背中を押され、納棺。きれいにお化粧をしてもらい、立派な衣装を着せてもらっていた。
そのまま、お通夜の会場へ。
会場に向かう前に思い出の地をまわってもらったらしい。
お通夜はなんだか、実感の湧かないまま時が過ぎていった。
娘もまだ9ヶ月だし、長時間待っているのはつらかったと思うが、ずっといい子でいてくれた。一生に焼香もした。
人付き合いは苦手だったじいちゃんだったが、多くの人が来てくれた。正直うれしかった。

5月25日。
いよいよ、今日は本当にお別れ。
朝から変に緊張していた。
お通夜とは違って、油断するとすぐ涙が溢れた。焼香も涙でしっかりできたか分からなかった。
告別式も終わり、本当に顔を見るのが最後というとき、今まで以上に泣いた。ドライアイスで冷え切った顔。
いつか目を開けるのではないかというくらい、きれいな顔をしていた。
『頑張るから、何も心配しなくていい。ゆっくり休んでね。ありがとう。』と声をかけた。

そして、出棺。
収骨は孫6名+妻・娘の8名で行った。
火葬が終わり、いざ、対面。
変わり果てた姿であったが、みんな悲しいという感情はなかったのかもしれない。
予想に反し、骨がきれいに残っていたからだ。じいちゃんすげぇ!と。しかも、歯も二本残っていた。
足腰が弱っていたのに、足の骨はぶっとく残っていた。
みんなで交代しながら収骨をした。ここは必要だよ、とか話しながら。意外と和気藹々としていたと思う。
おかげでいつまでもひっぱることなくスッキリとお別れできたと思う。葬儀場に帰ってから、ばあちゃんをはじめ、みんなにこのとこを話してあげた。
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いろいろとバタバタ続きではあって皆疲れ気味ではあったが、最後は気持ちよくお別れできたのではないかと思う。
寂しさはあるし、後悔がないと言ったら嘘になってしまうけど。
今、親族一同、今まで一致団結していると感じている。いつまでも寂しさをひっぱらずに明るく過ごしていると思う。

いろいろ手続き等も終わってきて、やっと普通の生活に戻ってきているような気がする。
寂しい気持ちの中、自然と皆で協力体制ができていたのはとても嬉しかった。
きっとこれをじいちゃんが見たら喜ぶし安心すると思う。

じいちゃんにはたくさんの《ありがとう》を伝えた。
妻・子にも感謝を伝えた。いろいろとバタバタしたりしたが、常に冷静に支えてくれたし、じっとしているのはつらいはずの娘も頑張ってくれた。
悲しい出来事ではあったが、感謝することを改めて教えてもらったと思う。

ありがとう、じいちゃん。 ありがとう、妻・娘。 ありがとう、みんな。


ちなみに、遺影に使ったのは私達の結婚式のときの写真で、普段あまり笑わないじいちゃんの満面の笑みの写真でした。
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[ 2014/05/30 22:50 ] 日記(その他) | TB(-) | CM(-)





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